からほり倶楽部代表 六波羅雅一

「科学と文化と自然」
明治維新以後、諸外国からの侵略による危機感に伴い必死で諸外国の文化や技術を取り入れてきた。また、先の大戦からは立派に経済の復旧や平和を約束してきた。その短期的なめざましい成長は日本を守り続けてきたが、日本文化や自然への記憶は置き去りにされてきた。一方、科学や技術の発展は著しく成長し頼ることとなっている。日本文化、たとえば、建築においては味のある木製のやわらかな建具から強固なアルミサッシへと変化してきた。その室内は密室であるがゆえ自然と共に暮らす事や、文化としての礼儀等が失われた。そして快適と思われた部屋で覚えてしまった便利さは忘れられなくなるのである。古代からの日本人は山や木そして石や水に宿る神、つまり、自然に対して恐れがあり守ってきた。そしてそれを、体験を通じて学習していたのかも知れない。自然という一面から見れば昔の建築はその学習を成果としてきたのだろう。日本建築の素材は、柱や梁などの”木”基礎等に使用されている”石”壁の”土”という様に自然素材であり、昔の大工さんの”手”による建築技術と合わせ、まさに生の文化である。そして、樹齢100年の木材を使用すれば100年間耐えうる建築を造るのが当然であった。100年耐えなければそこに100年の樹木は成長しないのである。つまり地球の生命体としての輪廻なのである。精神的に体にしみついたものとしての日本文化が資源として育ち、忘れかけていたものを未来に向けて残して行く事が、大切なのではないだろうか。

「からほり倶楽部(空掘商店街界隈長屋再生プロジェクト)」
大阪市中央区の大阪城の南側に空掘(商店街)というところがある。名前の通り大阪城の外堀付近であり、上町台地の西斜面にある。ここは都心にもかかわらず、先の大戦での戦災にもあわず、戦前の街並が残っている珍しいところである。石畳の露地が続き、木製の古い格子や蔵が斜面を巧みに利用しながら並び、人々の生活と上手くかみ合いながら存在する街である。だが、空掘をとりまく幹線道路沿いには高層のマンションが続々と建ち並び、歴史のある上町台地からの夕日は、すでに眺めることができなくなってしまった。露地に面した長屋は、現在の法のもとに新しく建て替えできないところや、所有者の複雑な問題によって空地になったり、放置されたままの状態のものも多い。ここに残っている崩れかかった長屋は、解体されることを待っているかのようにも見える。先の国勢調査の結果、大阪市中央区では調査史上初めて人口が増加した。これは空掘商店街周辺のマンションの増加に伴ったものであり、相互して空掘の長屋には年老いた人々が暮らしている。周辺の開発に取り残された住民たちの多くは、この街のことを「古い街」とか「汚い街」として意識しているのである。かたや、街の外側から今の目で見れば、「美しい」、「懐かしい」、「安らぐ」、「癒される」といった具合に意識されるのである。そんな変化の中、この魅力的な街そしてその資源を愛するメンバーが集まり、2001年に「からほり倶楽部」が設立された。空掘の美しい街並みや長屋をあらためて意識し、この街の長屋の保存、再生そして、活性化ならびに新旧の共生を目的にした活動を続けている。

「からほり・まちアート」
この町には、石畳、露地、長屋、坂道といった情緒ある資源が残っている。そのさまざまな場所で何十人ものアーティストがまちの資源を意識しアートを表現するのである。石畳の上に造型物を展示したり、長屋の大きい壁に展示したりする。そしてそれは、空掘の町並に興味にある人たちや、アートを通してまちを観る人、そしてこんな汚い町と思っていた人たちがアートを観て、あるいは人々を観て、自分たちの町の資源をあらためて意識してくれれば・・・ こんな想いで「からほり・まちアート」は始まった。もし、町の人たちの意識が変わればどうなるだろう。町並のことや露地をも自分たちで守るもの、そして創るもの、公共的な要素を含む部分も自分たちのものとして感じてもらう。大阪人の自立心は、日本の土地問題や、古いものを守っていくということ、そして、それは人の自然へ対する記憶を思い出すことになるのかも知れない。 DATA---第三回からほり・まちアートは2003年10月25日・26日に空掘商店街界隈にて開催されました。91組のアーティストと落語会等の15の併催イベントを約60人のボランティアスタッフで運営し、両日で約12000人の来場者を迎え第1回第2回に引き続き大好評で終了しました。

「惣と練」
当初から、からほり倶楽部では減少傾向にある長屋をどう保存再生するかが最大の問題であった。長屋を使用し続ける事により建物やその環境という資源を守れるのではないだろうか。そして我々の活動を地元の方々がまちの事として意識して頂く事により方向性が決められるのではないだろうか。すでに我々は「長屋再生複合ショップ -惣so-」と「御屋敷再生複合ショップ-練len-」をサブリース方式で運営している。いづれも大正以前のかなり古い建物であったが、ただただ建物を残せという保存運動ではなく、地主の方の負担を少なくした運営方法を企画提案することにより建物を生かすものである。 企画はそれぞれの建物をいくつかに区分し、複合ショップとして利用しようというものである。商店街の人々を引き込む為の集合体の力強さを利用し、店鋪内の内装は店鋪であるがゆえ各テナントが行うのである。よって、建築費は各テナント内を除く部分となり、外部、共用部と基本的な設備となるのである。事業は「からほり倶楽部」が一旦買り上げ、基本計画、収支、入居募集、運営管理まで行うものである。空堀商店街界隈の資源はマスコミ等を通じ魅力的に紹介されており、空掘で出店したい或いは、アトリエを持ちたい、といった方々から多数の問合せをいただいた。テナント募集は、その方々やホームページでの告知、或いは、大阪商工会議所等を通じて行われ、早々に入居申込みを受けるという結果となった。大阪は、秀吉の頃から江戸時代まで日本の流通の中心であり、町人が町を造ってきた。自治的町政として『惣』があり、実質市政を行っていた。昔の大阪人の独立心にあやかり『惣』がここに誕生し、『練』にも受け継がれていくのである。

「複合文化施設-萌hou-そして直木三十五記念館」
からほり倶楽部の目的のひとつである活性化という方向から観れば、まちは少し成長したのかも知れない。空堀には商店を初めとして事務所、アトリエそして住居等が混在している。又、それが魅力ある資源のひとつでもある。『惣』や『練』は全て商業施設として何が表現できるかなのだが、我々はこのまちを商業地域に変えようとしているのではない。『惣』や『練』に引き続き3っ目のサブリース事業になりうる建物の相談があった時、我々は改めて思案した。はたして住民にとっては何が必要なのだろうか。「からほり・まちアート」では住民が新たにまちを見直して、まちも自分達の素敵な資源の一つと感じてもらえればという思いがあった。年に一度のイベントであるが確かな効果があった。その延長線上に、直木三十五という素晴らしい人が埋もれている事に気が付いた。直木はこの界隈で生まれ育ち作家活動も続けていた。彼は直木賞という後世に素晴らしい軌跡を残したが、彼自身の事はあまりにも記憶にないのである。直木三十五を知り、そしてそれが地元の方達の誇りとなり、その施設を中心とした複合文化施設が賛同人の方々とからほり倶楽部の熱い思いをもって完成するのは間直である。そして関わっていただく人達もまちにとって資源なのである。